シャレード(charade)について

1.三種類のシャレード

 シャレード(charade)とは、いくつかのヒントによって言葉を当てる一種のなぞなぞである。本来はある単語を二つ以上に分割し、それぞれの部分ごとにヒントを出してゆくものであるが、いくつかの発展型を生じた。その形式には主に三種類ある。その一は、言葉によってヒントを出すもの(以下、便宜上「語りのシャレード」と称する)、その二は、19世紀に流行った大がかりな余興で、一幕一幕がヒントになった謎掛け芝居(以下、「演じるシャレード」)、その三は、声を出さずにジェスチャーだけで単語やフレーズを当てるもので、現在英語圏でシャレードと言えば通常これを意味する。第二のものは英語でacted charade、第三のものは、dumb charadeと称されることがある。

 シャレードは初めフランスで生まれたもので、辞書などの記述によれば18世紀に英国に入ってきたものらしい。南仏のプロヴァンス語で「会話」を意味する「charra」を語源とするようである。Gay(1995)は、シャレードが英国に渡った年を1776年とするが、具体的な根拠を示していないため、真偽のほどは定かではない。(cf. Penny Gay, Emma and the Battle of Waterloo, Sensibilities, No.10, June 1995. web版http://www.jasa.net.au/jaebwpg.htm

2.語りのシャレード

 本家のフランスではシャレードと言えば今でも語りのシャレードを指す。これに対して英国では、とりわけヴィクトリア朝においては、圧倒的に演じるシャレードの方が普及した。『英国レディになる方法』(岩田託子・川端有子著、河出書房新社2004)の「シャレード」(34-35頁)の項には、「シャレードとはフランス由来の謎解き芝居」とのみ説明があり、語りのシャレードについては全く触れられていない。該書の趣旨が主にヴィクトリア朝の風俗を描くことにあることを考慮すれば、致し方ないとも言えるが、その次に「たとえば」として最初に挙げられている例が語りのシャレードであるのは読者を困惑させるであろう。

 英文学に見られる語りのシャレードとしては、次節で紹介するジェイン・オースティンの小説『エマ』のものが有名であるが、比較のために、まずはフランス語のシャレードの形式を確認しておきたい。インターネット上の百科事典Wikipediaのフランス語版において、「Charade」の項に「古典的なシャレード(La charade classique)」として紹介されているのは、次のようなものである。(日本語訳は中村の試訳)

   Mon premier est un animal.  私の第一部分は「動物」。
   Mon second est une anse.  私の第二部分は「入り江」。
   Mon tout est une devinette.  私の全体は「なぞなぞ」。(さて、私は何でしょう?)

答えは、第一部分が「chat(猫)」、第二部分が「rade(停泊地)」、そして合わせて「charade」となる。つまり、「charade」を「cha-rade」と二分割し、前半部分が「猫」を意味する「chat」と同音、後半部分が「rade(停泊地)」であることを利用している。この例のように、「私の第一は…/私の第二は…/私の全体は…」という形式を取る。もし、全体が三分割以上されていれば、「私の第三は…/私の第四は…」と続くことになる。英語のシャレードも全く同様の表現(「My first ---/ My second ---/ My whole---」)を取る。

 なお、これらの表現を、岩田・川端(2004)におけるように「第一音節…/第二音節…」と理解するのは厳密に言えば正確ではない。フランス語においても英語においても、分割された部分は一音節ずつとは限らず、二音節以上の単位になることもしばしばあり得る(後述の『虚栄の市』の例を参照せよ)。したがって「第一部分…/第二部分…」というのが穏当な理解である。

3.韻文形式のシャレード

 上述のように、英国ヴィクトリア朝においては、シャレードと言えば通常は演じるシャレードを意味した。このことは、この時期の小説において「charade」という語が「act」という動詞と共に用いられることから明らかである。しかし、より古い時期の作品には語りのシャレードを意味する例もあり、とりわけジェイン・オースティン(Jane Austen、1775-1817)の小説『エマ(Emma)』(1815)の第9章には二篇の語りのシャレードが具体的に(そして効果的に)描かれている。そのうちの最初のシャレードは次のようなものである。

   My first doth affliction denote,
    Which my second is destin'd to feel
   And my whole is the best antidote
    That affliction to soften and heal.―

これを岩波文庫本(工藤政司訳)は次のように訳している。

   最初のシャレードは悩みを意味し
   二番目はそれを感じる運命にあり
   全てはこよなき解毒剤
   悩みを和らげ癒すなり

むなしいほどに意味不明の訳である。試訳と解答は以下の通り。

   私の前半部は苦悩を意味し(=woe)
   私の後半部はそれを感じる運命にある(=man)
   そして私の全体は最良の治療薬(=woman)
   その苦悩を和らげ癒してくれる

ここでの「antidote」は韻を踏むために選ばれた語で、「remedy」の意であろう。女が男の苦悩を癒してくれるということ。最終行は押韻のために倒置されている。

 『エマ』に見えるシャレードの特徴は韻文であることである。もっとも、ここに引いたシャレードは「あの有名なシャレード(that well-known charade)」として挙げられたものであるから、オースティン自身の作であるかどうかは分からない。しかし、『エマ』に出てくるもう一つのシャレードも一篇の詩になっており、他のオースティン作のシャレードも全て韻文である。これはフランスのシャレードには見られない特徴である。

 英語版Wikipediaの「Riddle」の項には、1834年のアメリカの雑誌に載ったシャレードが紹介されている。

   "My first, tho’water, cures no thirst,
   My next alone has soul,
   And when he lives upon my first,
   He then is called my whole."

試訳と解答は以下の通り。

   私の前半部は、「水」ではあるが喉の渇きを癒しはしない(=sea)
   私の後半部は、それだけが「心」を持つ(=man)
   そして「私の前半部」で暮らしを立てれば
   その人は「私の全体」と呼ばれることになる(=seaman)

ここでもしっかりと韻を踏んでおり、英語で作られる語りのシャレードは、少なくともヴィクトリア朝より前の時代には、ほとんどが韻文であったことが想像される。

 これとの対比で興味を引くのが、ロシア生まれの作家ナボコフ(Vladimir Nabokov、1899-1977)の小説『絶望(Отчаяние,1932、英語版Despair,1965)』に見えるシャレードである。ロシアの上流家庭に生まれ、trilingual(英仏露)であったというナボコフはロシア語と英語で多くの作品を残しているが、初めロシア語で、後には英語で書かれた小説『絶望』の第三章にシャレードが一つ使われている。英語版によれば、不振のチョコレート会社を経営する主人公が、ある夜、街灯の柱をステッキで叩く音(「Chock」)を聞いて作ったシャレードである。

   my first is that sound,
   my second is an exclamation,
   my third will be prefixed to me when I'm no more;
   and my whole is my ruin.

ウェブサイト「ナボコフノート」による日本語訳と解答は以下の通り。

   第一に私はあの音 (=Chock)
   第二に私は悲嘆の叫び (=O)
   第三に私はこの世から消えたときの私に冠される語(=Late)
   そしてまとめて私の破滅 (=Chocolate)

 20世紀の英語の小説でフランス式の語りのシャレードが用いられるのは珍しいが、これはもとがロシア語であるということ、そしてナボコフがフランス語に堪能であったことと無関係ではない。彼の別の小説『賜物』(原文ロシア語)には語りのシャレードがフランス語のままで用いられているという。(cf. website「ナボコフノート」http://sirin-n.hp.infoseek.co.jp/index.htm

4.演じるシャレード

 すでに述べたように、ヴィクトリア朝に入ると語りのシャレードは廃れ、演じるシャレードが流行する。小説の中では、岩田・川端(2004)に紹介されているように、サッカリー(William Makepeace Thackeray、1811 - 1863)の『虚栄の市(Vanity Fair)』(1847-1848)とシャーロット・ブロンテ(Charlotte Bronte、1816 - 1855)の『ジェイン・エア(Jane Eyre)』(1847)にシャレードを演じる場面が描かれている。ここでは前者を紹介しておく。

 『虚栄の市』の第51章は、その章のタイトルがすでに「Chapter LI: In Which a Charade Is Acted Which May or May Not Puzzle the Reader 」とあって、演じるシャレードがテーマになっている。ここでのシャレードはかなり大がかりな芝居である。二つのシャレードが描かれるが、その最初のものは、第一幕ではトルコの大官「Aga」、第二幕ではエジプトの巨大な像「Memnon」、第三幕ではシャレードの答えでもあるギリシア神話の王「Agamemnon」が演じられている。第一幕の最後では「First two syllables」と叫ぶ声が上がり、シャレードの前半部が二音節であることが示される。同様に第二幕の最後では「Last two syllables」という声があり、後半部も二音節であると知れることになる。

 なお、この章の中に「At this time the amiable amusement of acting charades had come among us from France」という記述がある。この小説は1810年頃を背景としているから、この記述が正しければ、「演じるシャレード」は19世紀になってから英国に入ってきたことになる。そしてそのことは19世紀初頭以前に、演じるシャレードの記述が見当たらないこととも符合する。

5.まとめ

 英国のシャレードは、まず18世紀後半(?)に「語りのシャレード」がフランスから伝わり、ゲームと言うより詩の形式で広まった(好例は『エマ』に見える)。次に19世紀初めに「演じるシャレード」がやはりフランスから伝わり流行した(『虚栄の市』『ジェイン・エア』)。20世紀にはジェスチャー・ゲームへと変貌した。

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